公平(Justice)


 

 

即時配信です!

昨日(9日)、スピリチュアル系に信奉している知人からこんな警告を受けました。
もちろん、Facebookなどに大々的に公表すればいいのですが、・・・、クローズ
ドな仲間内では、公然の事実のように・・・(^^;)

彼らが自信を持って公言できない理由は簡単です!
世間からの非難を受けたくない・・・怖い(^^;)

なぜか?・・・当たらないかも知れないから(^^)
当たらなければ仲間内で、「我々の祈りが通じたから!」で済むから・・・(^^)

で・・・私になぜ連絡があったかと言いますと、私はアウトサイダーなんですが、決して
その考えを否定する姿勢を持たないからなんです。

以前にもお話しましたが、「前兆」を感じたら、そこから起こりうる最悪のケースや多く
のリスクを想定して、できる限りの準備をすべきと考えるからなんです。
ですから、彼からの警告はお告げでもなんでもないんです!
私にとっては、薄らいでいた危機意識を覚醒させてくれた(^^)

彼から警告を受けてすぐ、家内に手巻き充電器とラジオの使い方を再訓練し、ヘルメット
やサバイバル・ナップサック一式を仏間に並べさせ、1週間の出張に出かけました。

さて、彼からの警告(スピリチュアルな世界の神様からの啓示)です。
「9・11に、再度、日本に禊ぎが行われると啓示がありました。どこに居ても、何をさ
れていても、心鎮めて対処して下さい!」

笑っちゃ・・・ダメですよ(^^)
彼らは真剣、ボクは危機感を植え付けていただいてありがとう!

で・・・実際に何も起こらなかったら・・・彼らは、偉大な神様のおかげ!私たちの祈り
のおかげ!
ボクは、良かったぁ(^^)

で・・・万が一、なにか起こったら・・・彼らは、神様は正しい!もっと信じよう!
ボクは、生きていて良かったぁ(^^)・・・死んでるかも?
家族への対応をいの一番に考える!続いて、周囲の状況から自分の成せることを!

いまでも、福島県いわき市に居住いたしております。
「そんなの普通・・・自然じゃぁない!?」
「いいや!とんでもない!危険だよ!」
「意志が固いんだから!」・・・これは当たりません(^^;

私のように還暦を過ぎた者は、10年後、20年後に原発事故の関わる放射能被爆による
影響でどうにかなったんだと訴えても、係争中にお陀仏だし・・・(^^;

治療の甲斐なく・・・結局、国民医療費のムダ使いにもなるし・・・(^^;

だから偉そうに、もう開け直って住んでいるだけなんです。
もちろん、なるべくこれ以上の被爆を最小限に抑えるようにはいたしておりますが・・・
(^^)

先ほど、Facebookにこんなリンクが貼られました。衝撃です!
ぜひ、お読みいただければと思います。
 http://blog.goo.ne.jp/mokushiroku666/e/8f0dbba878ce9c7ba5349087b3eeeb5f


さてビジネス・リーダーは、「公正(Justice)を期す」ということばを意識すること
が多々あります。

今回の即時配信理由は、万万が一、日本に何か起こったら?・・・彼らスピリチュ
アルな人たちの妄信的な警告であっても、自分は知っていたではちょっと憚る(^^;)

少なくても、メルマガをお読みいただいている皆さんには、お知らせしておこうと
・・・オッチョコチョイ丸出しと、信憑性???で・・・(^^)

まぁ〜言ってみれば、これも「公正(Justice)を期す」ということで・・・(^^)

冗談はさておき・・・。

「公平である状態にする(保つ)ために、〜というルールを定める」という意味と
同じなのです!

私たちは、今まで人間をしてきて?・・・、「先に手を出したもの勝ち」とか、「偏
り(かたより)」「えこひいき」「仲間外れ」などがつきまとっていましたよね!?

一般的に、「そりゃ〜不公平だわ!」って言葉を発します。

「公正(Justice)を期す」というのは、これに対して、「差別」「不正」「独占」など
をやめ、物事を公正に審判し、あるいは偏りなく分け合うことなんですね。

ところが、この「公平」をめざしてやって行くのに、そうしても自分の利益を優先
してしまったり、自分の主観で判断することで「公平」がゆがめられてしまいます。

もしかして以前にも書いたかも知れませんが、私の父は「公平」な人でした(^^)

ボクが幼少の頃、いえいえ、ハナタレくそガキの頃、お陰様でやや裕福な暮らしを
しておりました。というのも、義兄と父が一緒に立ち上げた管工機材卸問屋が高度
経済成長期の波に乗ってグングン成長したからなんです。
役員だった父は営業責任者でもあり、相当な激務をしておりましたが、日曜日は完
全休日でした。

父の大好物は、お菓子とすき焼きでした。
父のお使いに行かされる時の指令は、「たばこのパールと、ついでにオカキ何g買
ってきてぇや!」でした。

毎週日曜日の夕食は、いま考えると贅沢ですが「スキヤキ」でした。
京都生まれの父母を持つ家では、「スキヤキ」の準備後始末は母が、作るのは父で
した。

陸軍士官学校卒で将校だった父は厳格の塊でした。
「スキヤキ」を作る間、鼻歌を流しておりますが、我々子供達には正座で「待て!」
状態を厳命しました。
少しでも身動きをしたり、早く食べたいなぁなんて一言でも漏らしたらしたら、即
攻拳骨が飛んできます。

京都のというか?藤本家の「スキヤキ」のレシピーを・・・(^^)

すき焼き鍋底に牛脂(ケンネ脂)をジュジュゥと言わせながら塗りたくります。
その時の煙から発せられる香りが堪りません(^^)
まんべんなく脂が塗られたら、スライスされた牛肉を一枚一枚菜箸で丁寧の鍋底に
並べてゆきます。この時にも煙と最高の香りが部屋中を・・・(^^)
私は、もう口の中によだれが出始めています。
その上に、手でお相撲さんのようにすくい取った三温糖をバラバラっと色が変わり
つつある肉の上に撒きます。
ここで香りが5段活用的に変化します(^^)
そこから一気に、野菜(白菜が第1番に)をすき焼き鍋に山盛り。
やや時間をおきますと野菜がしおれてきますが、そこを見計らって木綿豆腐やこん
にゃくを野菜の間にはめ込むように・・・(^^)
そして、お醤油をまんべんなく時計回りに中心から渦巻き状にかけてゆきます。

ここからです!
じっと我慢の時間なのです。
父の「よぉ〜っし、いいぞぉ〜(^^)」の合図があるまで・・・(^^)

その間に生卵を各自が小鉢に割り落とし、かき混ぜるのです。
ボクはその時から本気モードです。
誰よりもきれいに白身と黄身を融合させようと必死にかき混ぜます。
そのためには、左手に持った小鉢をやや傾けねばなりません。そして、お箸2本の
間隔を3.5mm平行にして直径3cmの輪を描くように小鉢とお箸を絶妙に音立
てながら廻すのです(^^)

ちょうど卵が泡立つ直前でしょうか?
父が、「よぉ〜っし、いいぞぉ〜(^^)」って号令するのです。

ボクは、末っ子です。
4つ年上の気の強い姉、2つ年上の神経質な兄がいました。
彼らはこの数分間は敵です(^^)

本来なら、儒教の教えでは年上から全ての者が大好物の牛肉をついばんで行く順序
があるのでしょうが、尊敬する父は「公平」でした。
「誰々から・・・」なんて、野暮なことは言いませんでした。
先ほどの一言だけです。

兄も姉もボクより背が高く、威勢良くすき焼きに飛びつきます。
ここはハンディキャップがあるはずですが、当時のすき焼きには仁義も無ければ、
弟を想うなどという殊勝な姉兄の姿なんぞありません。
完全サバイバル・ゲームが始まるのです。

ボクは、小さいながらも「弱者の戦略」を身につけておりました。
まさに諸葛亮孔明だったのです。
なに・・・違う? ランチェスター・・・いいえ、「孫子の兵法」なのです(^^)

どうしたか・・・(^^)
姉や兄達が、鍋底から牛肉を探している一寸の時間にボクは、煮立った白菜にたっ
ぷりすき焼き汁を含ませて、お箸につまみいつでも持ち上げられるように待機する
のです。

血も涙もかわいい弟に持たない姉兄は、得意になって牛肉を探し当てそれを持ち上
げてくるのです。
その時なのです!
彼らの手の甲直上に、熱い汁のたっぷりついた白菜を落とすのでは無く、汁だけを
振りかけるのです(^^)
「あっじじじ・・・、な・な・なにすんねん!」
そんなもん知るかぁ!・・・ボクの心は勝利の直前の雄叫びを。
憎っくき姉兄は見事にボクの計略通り、拾い上げた貴重な牛肉を鍋の野菜の上に落
とすのです。
それを知らんぷりして・・・箸で挟んでいた白菜と交換行動を素早く行い、誰より
も見事に卵を混ぜた小鉢に牛肉を持って行くのです。

「あっじじじ・・・、な・な・なにすんねん!」
このあと姉兄共は、つづく言葉でボクを罵倒しようものなら、父は拳骨を姉兄共に
喰らわすのです(^^)
「アホォ〜、静かに食べぇ〜!」
「・・・・・・・・・・・・・」

姉兄共は、泣きべそをかきながらボクを睨んでいますが後の祭り(^^)

また優しい母は、
「そんなん、ケンカせんとぉ〜、仲良よぉ〜」
と言いながら、ボクに母の牛肉を分け与えてくれるのです。

藤本家の、ハイ!のどかなすき焼き食事風景でした(^^)

ですから、「公平」という言葉の後ろに「無私」という言葉を付け、「公平無私」
という概念もあるのです(^^)

ビジネス・リーダーとしてお考えいただければ、もうお分かりですね!?
競争・競合の上に「公平」が存在するのです。

先ほど書きましたように、「公平である状態にするために、〜というルールを定め
る」ことが肝心なのです。

「公平」の読み方を「公」に「平等」と訳してしまいますといけません!
 
例えばですが、3個のリンゴを3人の兄弟で仲良く分けるとき、1人1個ずつなら
平等かというといいますと・・・、リンゴの大きさや味などの要素があることが分
かっていると、厳密には違ってきます。

ほんじゃぁ〜、大きさについて「平等」にと・・・、歳の順で年少から、もしくは
年長から大きいものをとっていくなどという決め方も考えられますが、やっぱり味
のほうは外見では分かりませんから、結果は平等とは言えないのです!
また、リンゴが1個しかない場合、それを3等分する。
できません!
いかに厳密に測りつつ・・・なんてやっているうちに酸化してしまいます(^^;)

どう考えても、厳密に3等分することは期待できないのです!
おおよそ3等分だったら、まぁいいじゃぁないですか!?
兎にも角にも「平等」は自然界に存在する概念ではないのです!

お互いの人間同士が納得していさえすれば、「平等」よりは「公平」の方がふさわ
しいんです!
 
管理者研修で「部下への仕事の与え方」について深考していただきますが、答えの
本質がここにあります。

 




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